出産記録を記憶が薄れないうちに書いております。
突然の破水で事態は急変した私のお産。
旦那さんが連絡をしてくれて、母が仕事終わりで駆けつけたのが16時前。
予定日よりも早いし、まさか今日お産になるなんて誰も思っていなかったので、母も相当驚いた様子。
その頃には私もベッドに横になって、痛みに耐えるのに精一杯で、動けない状態になっていました。
母はきっと触られるのも嫌だろうと思ってくれたらしく、「痛いでしょ。がんばれ」ととりあえず声がけしてくれるに留めてくれていました。確かに、腰とか押してもらったところでどうにもならないし、誰かがそばにいてくれるというだけでかなり心強かったです。
すぐに旦那さんも合流。まさか、という感じで慌てていました。
だって、これから出産で、何時間後かはわからないけど待ちに待った我が子が産まれてくるんだから、いろんな感情が渦巻いていたことでしょう。
そうこうしているうちに、助産師さんもやってきて、「分娩室に移動しましょう。動けるうちに!今!」と急き立てられるように陣痛の合間に歩いて分娩室へ。
私も、痛くならないうちにと結構スタスタと分娩室に向かった・・・つもりだけど、実際どうだったかは不明。
しかも歩いているうちに、お腹痛くなるし。
無理ーーーと思いながら歩いてどうにか到達。
部屋の様子を伺う余裕も無いまま、分娩台のベッドの上に横たわる私。
「楽な姿勢でいいから。横向きでもいいよ」
と言ってもらえたので、左向きに横になってみました。
普段シムスの体位で寝ていたので、それがいいかな、て思ってそうしただけなのですが、結果的に正解だったと思います。
いざいきむまでこの体勢で何時間も過ごしたので。慣れた体勢にして正解。
でも、いざ産んで後から他の出産したお母さんたちと話していて気がついたのですが、もっと分娩室見ておけばよかったな、て。
実は結構広くて、畳のスペースとかもあって、自由に陣痛を耐えられるように工夫された部屋だったらしいんです。
私はすぐに分娩台に乗せられて、しかもずっと左側だけ向いていたので、全く部屋の様子は見れてないし、実際それどころではなかったので、状況把握も全然できていなかったのですが。
私が出産した病院は建て替えてまだ数年?なのか新しくて、分娩台に仰向けになるとテレビ画面が見えるようになっていて、そこにはヒーリング的な画像が絶えず流れていて、陣痛の感覚に合わせて部屋の色が変わったり、音楽が変わったりするハイテクなお部屋でした。
確かに画面もあったし、音楽も呼吸法の音楽が陣痛の間隔に合わせて流れていたのですが・・・
まぁ、ほぼ無視ですよね(笑)
落ち着いて見れるかい!て感じ。
視界の片隅に、なぜかバランスボールが置いてあるのは見えていて、あれは陣痛の痛みを逃すために役立つんだろうか・・・とぼんやりと思ったのは覚えています。
痛みは本当に辛かったのですが、案外頭は冷静だったな、と我ながら思います。
ま、部屋の様子を覚えていない時点で冷静じゃないとも言えるんですけどね?
で。
なんだか足にカバーをかけたり、いろんな準備をして。
点滴のラインを取らせて、と助産師さん。
右手が機械等の位置的によかったらしいのですが、私の腕は血管が細すぎて・・・。毎回看護師さんが苦労する手だったので、
「右手はおそらく無理だと思います・・・」と申告。
でも、ダメ元で取らせて、と言われたので、了承してみたのですが・・・案の定うまく取れず。
結局左手で点滴することに。
この点滴のラインは、退院前日くらいまで挿しっぱなしでした。
というのも、早い段階で破水をしていたので、この時点で私は微熱を出していて・・・。
よく破水をしたらお風呂などに入らずに病院へ来てください、て言われるはずなんですが、それは羊水が流れ出ているから子宮内が感染しやすい、ていう理由だそうで。
血液検査の結果、炎症を起こしている可能性が高かったので、抗生剤投与をずっと行うこととなったのです。
結果的にこの微熱のおかげで、促進剤を使ってもらえたのでお産の時間はかなり短縮されたのでラッキーといえばラッキーだったわけなのですが。
赤ちゃんのことを思うとちょっと心配な状態だったな、と今では思います。
何もなくてよかった・・・。
ようやく私の準備が整ってから、旦那さんが入室。
立会いはこの病院は旦那さんだけが許されたので、母は外で待機。
しかも、20時になると旦那さん以外は病院内にいることも許されないので、恐らく帰宅することになるだろうな、申し訳ないなぁ、とぼんやりと思いつつ。
そこからは壮絶な?お産のスタート。
でも、それはまた次回に。
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